女房の妬くほど亭主もてもせず
女房はとかくやきもちを焼くが、亭主は女房が考えるほどもてることはないということ。
女房はとかくやきもちを焼くが、亭主は女房が考えるほどもてることはないということ。
自分のことを云つた序に、もう一つ云ひます。 市村座で、拙作「長閑なる反目」が、新派の所謂「若手」によつて上演された。 これが動機で、私は、それらの俳優諸君と話を交へ、なほ、有名な「金色夜叉」の舞台を初めて観た。そして、いろいろなことを考へた。 考へたことをみんな云ふ必要はないが、私の第一に云ひたいことは、新派劇の命脈は将に尽きんとしてゐるに反し、新派俳優の前途は却つて洋々たるものありといふことである。 かういふ議論は、恐らくもう誰かによつて唱へられてゐるかもしれないが、私には私一個の見方がある。 そこで、私の註文は、速かに新派劇といふ名称を廃することである。それは、女優劇といふ名称を廃するよりも容易な筈だ。何となれば、所謂新派劇と絶縁することによつて、現在の新派俳優は、立派に旧劇と対抗する現代劇の職業俳優たり得る地位にあるからである。 女房の妬くほど亭主もてもせず
「沢氏の二人娘」と「歳月」とは、同じ年の一月と三月とに、相次いで発表したもので、この頃、私の戯曲創作慾が再燃しかけたことを証明してゐる。 例によつて、いづれも雑誌へ活字としてのせるために書いたといふ、戯曲本来の用途にいくぶん合しないものであるが、それでも、戯曲の戯曲たる条件だけはまづ遺憾なく具へてゐるといふ風な出来栄えの作品であつて、私の最近作として、読んで欲しいものである。 たゞ、このへんで、私は、「戯曲のための戯曲」といふ創作態度を翻然改めるべく決心したことを附言しておかう。 恐らく、これらを最後として、若し私に将来戯曲作品を発表する機会があるとすれば、それはやゝ面目を一新したものになるであらう。 「戯曲は如何に書かるべきか」といふ修業は、もう私をうんざりさせた。 そろそろもう、「戯曲によつて何を語るべきか」といふ課題が私を捉へはじめてゐるのである。 かういふ迂遠な道を辿らねばならなかつた、「私たちの時代」を、後世の文学史家はとくと研究してみねばならぬと、ひそかに私は信じてゐる。 女房の妬くほど亭主もてもせず
さう云へば、小説の場合も含めて、私の書くものは、いつたいに冷たいといふ批評をよく受ける。それは、作者が「冷たい人間」であるといふ意味にもとれるので、私は、自分で自分を振り返つてみないわけにはいかない。 なるほど、私は、実際の生活のなかで、「堪へる」といふことの習慣を身につけてしまつたやうである。であるから一方では、「赦す」といふことを人間の美徳とさへ考へないやうになつてゐるのである。 ところが、作品のうへでは、私のその二つの傾向が、極めて不用意なかたちで現はれる結果、どこか嗜虐的な風貌をおびるのではないかと思ふ。「仮借しない」といふ態度が私の云はゞ「息抜き」なのであり、物を書く時のせめてもの自己満足なのである。 しかしながら、これはどうも、自分の「冷たさ」を否定することにはならないやうである。 私は、まだ、自分のかたくなな心に注ぐ涙を、人に見せたくない見栄でいつぱいである。 女房の妬くほど亭主もてもせず
「落葉日記」は、嘗て同名の戯曲を書いたことがあり、その主題をそのまゝ小説にしたものであるが、もちろん、構想はまつたく新しくした。 戯曲の方は、老婦人下枝子を主人公としたものであるが、小説の方は、その孫娘梨枝子を第一の主要人物とした。 こゝでは、西欧的なものと日本的なものとの対立、殊に、その不幸な結合から生れる救ひなき性格破産の悲劇を取扱つてみようと試みた。 例外的な事件と人物からなるこの物語の発展に、読者はやゝ現実の世界から引きはなされる感じがあるかもわからぬが、うつかりすると、これこそ、現代日本の明日の姿かもしれない。作者は、さういふことを暗示したつもりである。 小説に於ける詩、散文のなかのリリシズムといふ問題をも、私はこの作品で意識的に追求しようとした。 「根こぎにされたもの」の空虚と哀愁とを、生々しいリアリズムの筆にのせることは、私のこの次ぎの仕事である。 この集に入れた戯曲三篇は、それぞれ、劇作家としての私にとつて、ある意味での記念作である。 「ママ先生とその夫」は、発表後しばらくたつて劇団築地座がこれを上演した。故友田恭助君が、朔郎の役を演じて好評であつた。多分、私のものを彼が手がけた最初であつたと思ふ。 上演に際して気がついたことは、こんな「意地の悪い」作品をどうして書いたらうといふことである。見物の心を愉しませる要素が実にすくない。妙に寒々としたものが後に残る。 これは必ずしも意外な発見ではないが、実際の舞台からこれほどまでの印象を受けようとは思つてゐなかつた。 クレジットカードの総合情報
一寿 驚くことはないさ。お前だつて、亭主を持つたらおんなじこつた。 悦子 違ひますよ。いくらなんでも、かういふ(頸と肩とを同時に寄せて行く科を作つてみせ)真似は、あたしにはできつこないわ。あんな恰好、何時の間に覚えこんだか、訊いてやらうか知ら……。 一寿 また、また! お前も近ごろ、ずばずば云ひ過ぎるよ。あいつはあいつでいいぢやないか。わしも、お前も、あいつの世話になつてるわけぢやなし、苦労はめいめい、有り余るほどもつてるんだ。それみろ、お前は痩せたぞ、この節……。 悦子 云はないでよ、それ……。自分にもわかつてるのよ。どこまで痩せてくか、黙つて見てて頂戴よ。これで、どうにもならないんぢやないの……。 一寿 苦にしちやいかん、苦にしちや……。人生は、ひらりとからだをかはすものの勝利だ。神谷をみろ、神谷を……。あいつが、からだをかはし損つたのは、細君だけだ。そのほかのことは、こいついかんとなつたら、その場で、なんの躊躇もなく、ひらり、ひらりだ。わしもそいつを喰つた一人だ。ああなくつちやならん。どうしたんだ、え? 妙に沈んじまつたぢやないか? 悦子 あたし、お水一杯ほしいわ。汲みたてない?(一寿が起たうとするのを止めて)いいわ、いいわ、あたし、行つて飲んで来るから……。コツプ貸して……。(戸棚へ行つて、自分でコツプを出す) 一寿 わしが持つて来てやらう。 悦子 いいのよ、さうしてらつしやいよ。 女房の妬くほど亭主もてもせず
悦子 愛ちやん、今日来る?(チヨツキと上着を着せかけてやる) 一寿 今電話をかけて寄越した。出かける時間だけど、ゴルフ場から車が帰つて来ないんで、ことによると、少し遅れるかも知れんつてさ。十二時には間に合ふだらう。 悦子 今日は是非、会つてきたいの。この前はあんな風にして別れたもんで、あと気持ちが悪くて……。でも、ああなつちまつたら、なほらないもんね。もうちやんと性格になつてるわ。どういふものか知ら……人の言ひなりになるつてことがいやなのね。 一寿 亭主にはああでもなからう。 悦子 それが、あの女うまいのよ。西洋人が日本の女のどういふところに目をつけてるか、ちやんと呑み込んでるわよ。西洋人のお神さんになつて、西洋の女の真似をしちや損だつてことを、百も承知なんだから感心だわ。甘え方だつて、ほら、何時かみてなかつた? あたしたちの前なんかと、どう? がらつと変つちまふでせう。まるで芸者よ。あれ、驚いた、あたし……。 女房の妬くほど亭主もてもせず
一寿 (益々顔を火鉢に近づけ、やたらに灰を吹き上げる)あちいツ!(顰めた顔で、らくをみあげ)おい、頼むから帰つてくれ。 らく はい、はい、ぢや、御用がなければ、あたくしは帰ります。 一寿 教へた通りの挨拶をして行け。 らく (ぎごちなく、一寿の額に接吻する) 彼女が出て行くと、一寿は、洋服に着かへはじめる。最初の場で唄つたのと同じ節の歌を口吟む。大きく咳払ひをする。嚏めをする。手で鼻を拭く。 カラの釦をはめようとしてゐる時、扉をノツクする音。 一寿 アントレエ! おはいりイ! 悦子が、肩掛に顔を埋めてはいつて来る。 悦子 お変りない? 一寿 変らざること、ミイラの如し。お前も風邪は引かんかい? 悦子 風邪なんか引いてられないわ。忙しくつて忙しくつて……。 一寿 結構だ。 女房の妬くほど亭主もてもせず
一寿 さういふ噂は、半分に聞いとくといい。 らく そりや噂だから、根も葉もないことかも知れないけど、なかなかすごいんですつて……。 一寿 すごいすごいつて、なにがすごいんだ? らく すごいんですつて、ああ見えて……。 一寿 校長を丸め込んでるとでも云ふのか? らく まあ、あたしの口からは云はない方がいいでせう。 一寿 やれやれ、さういふ癖が、お前にもあるのか。四十年この方、わしの識つた女は、例外なくそれだつたよ。 らく そんなら言ひませうか。 一寿 云はんでよろしい。聞きたくない。 らく あら、怒つたんですか? 一寿 (火鉢の炭を吹きながら)拗ねてみせるやうな年になつてみたい、もう一度……。 らく 悦子さんは、若い男の先生達から、とても騒がれてるんですつて……。ところが、うんと騒がしといて、そのうちの一人を、誰も知らないうちに、ちやんと手なづけてるんですつて、三年前から……。そりや、わからないやうにうまいんですつてさ。相手は五つとか年下なんですけどね、学校にゐる時は、まるで子供扱ひにして、お使ひまでさせるんですつて……。 女房の妬くほど亭主もてもせず
一寿 ありがたう。(らくに)ぢや、今日はもう帰るか? らく しかたがないでせう。(これも起ち上つて、一緒に出かけるが、思ひ出したやうに)また序に、洗濯を持つて行きますよ。 彼女は、戸棚から、汚れたシヤツ、猿股、ハンケチなどを取り出し、それを新聞紙に包む。脱ぎ棄てた洋服を壁に掛ける。ポケツトの中のものを出してみる。銀貨がチヨツキのカクシからこぼれる。その一つ二つを、手早く帯の間へ押し込む。 一寿が、寒さうにはいつて来る。 らく さうさう、いい話を聞きましたよ。 一寿 (大袈裟に)ああ、たまにはいい話を持つて来てくれ。 らく さういふいい話かどうか知らないけど、今ゐる家の階下の店へ来る問屋さんでね、悦子さんの学校へ文房具を入れてる人があるんです。その人がさう云つてましたよ――悦子さんは、どうして、すごいんですつてね。 女房の妬くほど亭主もてもせず
らく あたしも、最初伺つた時は、あんなことになるつもりはなかつたんですからね……。 一寿 それを、今云ひ出してどうするんだ。 らく どうしようていふんぢやないんですよ。自分で自分がわからないつてことを云つてるんです。今日も月謝のことで桃枝とすつたもんだの挙句、ふらふらつと、ここへ来てしまつたんです。 一寿 ふらふらつとなら、もうちつと気の利いたところへ行くとよかつた。五円はおろか、二円も覚束ない、今のところ……。 らく へえ、今日がお二人の見える日でしたかね。ちつとも気がつかなかつた。 一寿 毎月の第三日曜つてこと覚えといてくれ。愛子の亭主がゴルフをやりに行く日だ。今日はこれで風もなし、絶好のゴルフ日和だな。(クラブを振る真似をする) らく あなた、やつたことあるんですか。ゴルフとかつて……。 一寿 (照れて)ない。 この時、扉をノツクする音。 一寿、慌てて、扉を細目に開ける。 「お電話です、横浜から」といふ声。 女房の妬くほど亭主もてもせず
一寿 それだけは勘弁してくれ。あいつも、来るたんびに、なんか置いてかうとするが、わしは断然、そんなものは受取らんと突つ返してやる。毛唐の女房になつて、楽をしようつてぐらゐの女だ。娘は娘でも、こつちから弱味をみせたくないんだ。 らく あたし一人だけなら、今のでどうかかうかやつて行けるんですけど、桃枝を学校へ出すとなると、こりや無理にきまつてるんです。悦子さんに、あたしからお詫びしてもかまひませんから、元々どほりにしていただけないでせうか? 一寿 元々どほりつて、三人が一緒に暮すことかい。そいつは、もう真平だ。お前と悦子の間に挟まつて、わしはどれだけ苦労したか、まあ考へてみてくれ。ほかの理由でならとにかく、お前との折合ひが悪くつて、あいつが出て行くといふもんを、それならさうしろと、このわしが云へるか。妙な意地で、三人がばらばらになつた。それでも、そのためにわしは双方への顔がたつた。もう、これでよろしい。なんにも変へる必要はない。そうつとしといてくれ。 女房の妬くほど亭主もてもせず
あるアパートの一室。正面に扉。右手に窓。左手に幕を引いたアルコーヴ。寝台の一端が見える。室の中央に瀬戸火鉢。 前場より二年後の冬、昼近く。 扉をノツクする音。 寝台から、むくむくと起き上つた男は、無精髭を生やした沢一寿である。彼は、扉を開けに行く。奥井らくが立つてゐる。 一寿 なんの用だ! らく さう突慳貪に云はないで下さいよ。はいつちやいけないんですか。 一寿 用事を早く云つたらいいだらう。 らく それぢやあなた、風邪を引きますよ。いいんですか。 一寿 (渋々、引つ返して丹前の袖を通しながら)今日は娘たちの来る日なんだ。また見つかると、わしはいやだよ。 らく だから、すぐ帰りますよ。(さう云ひながら、火鉢のそばに蹲る) 一寿 ねえ、おい、今の境遇ぢや、さうさうは困るよ。もう就職も、わしは思ひきつた。神谷の奴も、てんで相手にしてくれず、この年になつて、方々へ頭を下げて廻るよりは、かうして細々と暮してゐた方がましかも知れんと、近頃やつと覚悟をきめたんだ。 らく 愛子さんの方からは、ちつと、どうかできないんですか。 女房の妬くほど亭主もてもせず
悦子 (そつと愛子の肩に手をかけ)大丈夫よ、大丈夫よ、愛子ちやん……。あたしたちが附いてるわよ。長い間、ひとりで苦しかつたでせう。可哀さうに……。そんな秘密をあんたが持つてると判つたら、あたしは、もつともつとあんたを労はらなけりやならなかつたんだわ……。遠くにゐたあんたが、今、急に、こんなにあたしたちの近くへ戻つて来ようなんて……それこそ、夢のやうだわ……。だから、あたし、悲しいのか、うれしいのかわからない……。さうよ、葬らなけりやならない過去は、早く葬つてしまはう……ね。あんた、まだ泣いてるの……? 愛子 (急に顔をあげ)うゝん、泣いてなんかゐない……(その通りである) 悦子 もつと、あたしのそばへ寄りなさいよ。 愛子 ええ、ありがたう……。だけど、あたしたちは、姉さんの云ふやうに、近くなつたなんて、うそだわ。大うそだわ……。 悦子 あら、どうして? 愛子 (冷たく)パパ、あたしは、今日から、この家を出てくわ。なんにも心配しないで頂戴ね。いろんなことが、だんだんわかつて来たからだわ。自分の生活は、お父さんや姉さんのそばにないつてことがわかつたの……。(入口に立つてうしろを振り返り)居所がきまつたら、すぐお知らせするわ……。 一寿 おい……愛子……。 愛子姿を消す。 悦子は、しばらくそれを見送つてゐるが、ふと、父の眼に涙を発見し、急いで、自分もハンケチを取出す。 女房の妬くほど亭主もてもせず
現在しか院はかなりの数があります。その数はなんとコンビニの数をもしのぐとの事なのですが、どうして歯医者がそこまで数を増やしてしまったのか全く想像がつきません。 歯医者は生活には欠かす事ができないものですが、そんなにいくつもいくつも必要かと言われれば、そんな事はありませんよね。それが一体どうしてここまで数が増えてしまったのかかなり謎です。 新たに歯科医院を開業するにしても、わざわざなぜ競争率の高い地域に開業しようと思うのか、もう飽和状態なのに開業しようと思うのか想像がつきません。経営が厳しいというのはこの様子を見ればわかると思うのですが、ここまで増え続けているというのは不思議ですね。その理由が知りたいです。 歯科医院経営コンサルは医経統合実践会│ひとりで歯科医院経営で悩まない
余談はさておき、近代の戯曲作家で、能楽にヒントを得て、その作品を物したと称せられる男が二人ある。一人は仏蘭西人、一人はアイルランド人だ。二人とも、能楽の精神を解してゐたかどうかは怪しいものだが、私の考へるところでは、東洋芸術に、異国的新鮮さを味ひ、怪奇な幻想を貪り得る人種ならいざ知らず、苟も、生れ落ちるから親爺の褌を見馴れてゐるわれらが、能楽の単純主義にさう驚くわけもなし、それをまた、真似てみる興味もなからう。まして、われわれは、チエホフを識つてゐるのだ。意識的に、チエホフから出発し、意識的に能楽の精神に近づくことは、やがて、演劇の本質主義を徹底させることになるばかりでなく、劇文学当面の問題は、理論上、一つの進路を与へられたことになるのである。 かういふ主張は、しかし、まだ、私の周囲で行はれてゐるわけではない。さうであれば、勿論、私など出る幕ではないのだが、静かに観察してみると、これから世に出ようとする若いヂェネレエションのうちにも、やはり、「純文学派」と、「大衆文学派」とが、同じ戯曲作家のうちに入り混つてゐるやうである。「大衆文学派」は、実際家であり、今日党であり、化学でいへば、応用組(?)である。「純文学派」は、理想家であり、明日党であり、学者でいへば、一生を実験で暮す研究室組である。どちらも、境界のところははつきりしないが、極端になると軽蔑し合ふ傾向があり、もつと極端まで行くと、互に同業者であることを気づかなくなる。 女房の妬くほど亭主もてもせず
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