女房の妬くほど亭主もてもせず
女房はとかくやきもちを焼くが、亭主は女房が考えるほどもてることはないということ。
女房はとかくやきもちを焼くが、亭主は女房が考えるほどもてることはないということ。
その容貌は余程綺麗です。色が白くてそうして品格も卑しくはない。ヒマラヤ山民中で一番綺麗なのはこの種族であろうと思う。外のネパールとかあるいはブータンとかの種族はこれほどに清潔でない。そうしてその顔容及び色の白さ加減はまた日本人の肺病患者によう似て居る。女も男もそういうのが多い中には少しは活発な者もありますけれども、大体において勇気というようなものは少しもない。けれども彼らには憎むべき性質をもって居ない。盗みという事も盛んにやるが、それかといって人を殺すような残酷な事をする野蛮人でもない。ごく温順な野蛮人である。 で今日ダージリンに出て来て居る者は二種ある種族の内のよい方の部である。悪い方の部の者は折々出て来てもなかなか怖がって、余程注意してどうかするとそうそう自分の山家へ逃げて帰るというような者が多い。ヒマラヤ山民中で比較的一番綺麗ですから、その婦人などはダージリンで兵士のためにいわゆる辻姫となって居る者が沢山ある。これはほとんどこの種族に限るほどダージリンには沢山居るです。 女房の妬くほど亭主もてもせず
この種族には稀に一夫多妻の者がありますけれども、多くは一夫一妻でチベットのように多夫一妻は許さぬ。その性質は非常に怯懦であって亡国人のごとく全く精気がない。けれどもそれかといってこの種族が漸次全滅に帰する傾向があるかというに、そういう傾向も現わして居ない。その子孫の生産力はチベット人に劣らんほどです。それはなぜかというと、一夫一妻も与って力あるだろうと思う。この種族はその古代神話の伝説の通りに果たしてヒマラヤ山中から生れた土着のものであるか、あるいはそうでないかという事は、今明瞭にいう事は出来んけれども、その言葉の上から考えますとチベット語でもなくまたインド語でもない。これは全く土着の者でここに出来たものであるという解釈を下せばまあ適当のように見える。 女房の妬くほど亭主もてもせず
しかしこの種族はこの点については土語でいちいち名を知って居る。それらは実に感心なものです。そうしてまた動物性の物も喰うですけれども多くは植物性の物を喰って居る。そうしてこの種族には竹が最も必要なるものである。まず竹の筒を釜にしてその中へ種々の物を入れそれで蒸すので、あるいは草の根とか果物とかいういろいろな物を入れ、また穀類を入れる事もある。塩、蜜等を入れてその竹の筒をすっかり蓋をしてそれをば竹の薪木で燃やすです。よく焼けてほとんど外部が黒く焼けてほどよい頃まで焼きます。それを取出しその蓋を明けてこれを取出して喰うです。それを喰うには竹で拵えた椀のようなもので喰うです。 水を汲みに行くにも飲食や何かを貯えて置くのも竹の筒である。彼らは何を貯えて置くにも大抵竹の筒の中に入れて置く。それから乳などを貯えて置くのも竹筒である。山間に居る彼らの内には全く土の竈に鍋というような物を持って居らん者がある。これらは皆竹の釜で一度煮てしまうとその焼けた竹は筒を一度毎に棄てて喫べる毎に新しい物を用いる。それから彼らは竹で弓を拵えて竹の矢に草の毒を付けて、それで動物を射る事をやるです。それはなかなか巧みなものです。 女房の妬くほど亭主もてもせず
その食物は多くは山林の自然生の草の実あるいは茸等であって、その草の毒であるか毒でないかという事を知るのは実に鋭敏なもので、なんでもこの草はこういう病気の折にはこれを喰えば癒るとか、これはいつの時候でなければ喰えないとか、これはまたどういう時に喰えばよいとかというような事は、皆立派なお医者さんが草の有毒無毒あるいはその性を別かつごとくに知って居る。その点についてはインド人などはとても及ばんです。インド人は一般に実に愚かなるもので、草の名でも知って居る者はありはしない。花の名でも知って居る者はごく稀で、どんな花を見ても花だというだけでなんにも外の事は知らぬのが沢山ある。 女房の妬くほど亭主もてもせず
その無能なる種族の方はダージリンの西北原の山のダラムタン山村の大なる石より生れた者の子孫であって、今でもその村には祖先の石が存在して居って、その村人がこの石の子孫であるといって居る。そうしてそのまた子孫はその村だけに居るばかりでない。シッキムの周囲にその種族が散在して居る。この種族は実に石から生れたというごとく、その性質が至って頑冥であることこの石のようにあるです。 この種族の婦人という者はその下顎に三つの縦筋を描いて居る。それは黒く入墨をして居るものもあれば、入墨するだけの余裕のない者は植物性の黒い物で描いて居る。もっともラブチェ種族のこの頃ダージリンに住んで居る者は少しあります。それらは皆チベット風あるいはネパール風の衣服を着けて居ますけれども、山の間に住んで居るすべてのラブチェ種族はいまなおこの種族固有の風俗を用いて居る。その服はサーチェという草の幹の繊維で織って拵えて全く縫う事をしない。その布の儘に十文字に体に捲き付け、そうして陰部へもまた捲き付けて端の方でくるっと掩うて居る。これをドミのクスドムといって居る。この一つの着物の外になんにも着けない。 女房の妬くほど亭主もてもせず
このチスターの川はちょっと謂れのある川で、ここでこのヒマラヤ山住民の内で今もなお原人時代の有様を有って居る種族がある。その種族の祖先がこの川の近所から生れたのであるという言伝えがありますから、この種族について少し説明をしたいと思います。この種族の名はラブチェという。これに二つの分れがあって、一つは幾分か智能があるのです。 一つは実に無能なる種族である。この有能なる種族の祖先は父をチークム・セーロンといいましてこのヒマラヤ山の土から化生したという。その母をドミという。このチスターの川をばドミのランニー・ウンラム・ホクラムといって居る。この女はこの川の水から化生したのである。それでその二人からして我々は出来たのであるというような事が、ラブチェ種族の間に神話として伝えられて居る。このチスター川はダージリンの北東の大なる谿を流れて、そうしてインドのガンジス川に合して居る。 女房の妬くほど亭主もてもせず
して見ると私の預けた人に当りますので、こりゃ困った事が出来た、自分の荷物が着かん事になる。で十日経ってもただそんな話を聞くばかりで一向荷物の出て来る様子も見えない。朝夕案じて居ると十二日目の朝便りがあってその晩方シナ人が二人とも着きまして、それは皆私の荷物も一緒に積んで来たです。そこでまあ私の荷物は無事に受取る事が出来た。トモからここまで運んで来た馬二駄の入費が十三ルピー、それを払いまして七月一日にその荷物を受取り、その翌日すぐにカリンポンを出立して坂を下る事十哩にしてチスターという大なる川に出ました。 チスター河畔のラブチェ種族 そこには立派な欧州風の鉄橋が架ってある。長さ一町足らずで非常に立派な釣橋であって、下は余程早川ですから棒杭を立てる訳に行かんようです。もっともここまで来るまでは近道と遠道とがあって、その遠道は山をくるくる廻って薄暗いがカリンポンまでずっと続いて上がるようになって居る。シリグリーという停車場、インドのいわゆる平原地の停車場である。この停車場からカリンポンまで荷車で物品の運送が出来る。またそれよりもう少し先のボェトンまで荷車は通じて居る。 女房の妬くほど亭主もてもせず
それから四、五日待って居るけれども私が荷物を托したシナ人が出て来ない。どうしたものか向うの方が少しあとになって立ったのだけれどもそんなに遅れる訳はない。関所で止められたところがもはや来なければならん時分である。荷物は関所で止められる気遣いはないから先へトモまで来て居る筈だと考えて居りましたが一向便りがない。七日経っても便りがない。 八日経つとトモ・リンチェンガンの地方から出て来た商人があってそれに聞きますと、シナ人二人が大変下僕を沢山連れて馬と騾馬二十疋ばかりで出て来たところが、雨が沢山降って居るところへあの危ない道を来たもんだから、馬が辷り落ちてしまって三疋川の中に陥り込んだ。それで馬は死んでしまう、荷物は何か分らんがまずその言うところによると麝香と銀貨が沢山入って居ったという事で、そのシナの商人はトモからこちらへは来ないであとへ引き戻すというような訳。商売に出掛ける金が無くなってしまったからでしょう。それからどちらのシナ人の荷物が失くなったのかと聞きますと、丈の高い方のシナ人だという。 女房の妬くほど亭主もてもせず
また帰る方がよいといったところでその事が出た時分にお前の方で疑うて見れば、どうもここに置いては邪魔になるから僅かな金をくれて追い返したという事に取られると誠に困る、私の方では別段にどうせねばならんという必要はないからお前の方でこの辺に善いラマがあるだろうからそこへ行って観て貰って決定するがよい。この事については私は観てやらんからというと、いやぜひ観て戴きたい、あなたの御覧になった事はたびたび知って居りますしこれまで見ても居りますからどうか願いたいという。それはいけない、私はチベットに居る間は仕方なしにやったがこれからはこんな馬鹿な真似をする必要はないからいけない、断然やらない、たとい外の人が頼んでもこれからは私はそういう依頼に応じない。まず他で見て貰うがよいといって断り付けました。 すると彼は外へ行って観て貰って来て、帰る方がよいという事になったという。それじゃあ帰る事にしろといってやはり三十五ルピーと着物の古いのとそれから関門を出てしまうまでの間の食物を持って、間道を通っていわゆる桃溪街道を通って帰る事になりましたが、これは後に聞いて見ますとやはりその男が私に随いて来た事までは探偵が行届いて居らんようです。ネパールに這入ってからもその事について取糺したが害が及んで居らんらしい。どうにかうまく免れたものと見えるです。看護師 転職
私はいくつかのブログを運営しているのですが、その中の1つをメインブログにしています。
主に日常のことや、気になったことを書いています。
以前、そのブログに対して、ブログのSEOを施したことがありました。
今は有料になっているSEOサービスですが、その当時は誰でも無料で利用することができたのです。
内容を詳しく説明しますと、一記事を投稿する毎に、PINGサーバーに自動でPINGを送信してくれるもの。
その後アクセス解析を調べると、少しですがアクセスがアップしたのが分かりました。
嬉しいのは、それでページランクが上がったことです。
自分のブログ名で検索してみると、私の知らない人が、私のブログをリンクさせているのを探すこともできました。
私の記事に共感してくれたのだと思います。
ページランクが上がるには、こういう良質の被リンクが自然に増えたことも関係していると思います。
グーグルの中のアルゴリズムが変わったとしても被リンクや相互リンクの持つ価値が変わったわけではありません。
検索エンジンやネットユーザーから見て不自然または違和感のある相互リンクじゃなければOKだと思います。
そこで重要なのがサイトのテーマ、ジャンルです。サイトのテーマやジャンルがある程度固定されていなければ似たようなサイトに相互リンクを依頼しづらくなります。
ゲームばかりのリンクの中に料理のサイトの相互リンクは違和感があります。例え相互リンクOKという答えが返ってきてもSEO対策としては効果は薄いでしょう。
被リンク、相互リンクはサイト同士の関連性によって強くも弱くもなります。ですからある程度で良いのでジャンルをカチッと決めてサイトを立ち上げる事をおすすめします。
昨今の被リンク対策は、量から質へ様変わりしました。以前であれば、とにかく被リンクの量を重視する傾向にあり、被リンク効果があるとよばれる中小検索エンジンやブログへのコメントまわりなど、あらゆう方法で被リンク量を増やす手段が主流でした。ですが現在は、被リンクに求められることは質です。昔からサイトの質が重要であると言い続けている人がいましたが、現在その通りの状況となっています。普通に考えれば、当然の結果ですが、被リンク量が多くつければ、サイトが上位表示される時代に、被リンクサイトの質までこだわれる人いません。なので今がチャンスです。今から質のよいサイトから被リンクを得られる方法を確立することができれば、多くのサイトを上位表示させるチャンスがあります。
被リンクを増やすと言う事は、ネット上にクモの巣を張り巡らすと言う事なのかな
なんて思います、あちらこちらの人と細くても強い糸で繋がり、そしてGoogleなどの
検索虫を捕まえる、と言う事で、網の目が細ければ細かい程、検索虫を捕まえ易く
なり、そして繋がっている人たちは大喜び、なんて事でしょうか。
インターネットは昔からクモの巣に例えられていましたが、被リンクはまさにその
クモの巣状態ですね、このクモの巣を上手くキレイにはれるクモもいれば、何度
やっても上手くはれないクモもいるって事でしょう、細い所があったり、すぐに
切れてしまう所があったり、検索虫を捕まえたと思ったら、まったく違う虫だったり、
そんな事を繰り返している訳です、いつか沢山の検索虫を捕まえる事を夢見て。
最近ではブログよりもツイッターやmixi、フェイスブックなどソーシャルネットワークが活性化してきています。そこからの被リンクが自サイトに沢山集まれば検索順位も上がりそうですよね。
しかしこれらのSNSのページからのリンクはたいていnofollowがついていて、被リンク数としてはカウントされません。そのため自分でSNSのアカウントを大量に作って被リンクを飛ばすという行為も無意味です。
しかし、SNSからの純粋な被リンクに全く意味がないわけではありません。人々は純粋な気持ちからそのページにリンクを貼っており、実際に読もうと思ってリンク先を訪れる人も多くなります。
結果的に質の高いアクセスになり、相乗効果でどんどんアクセス数も増えていくのです。被リンクの事ばかりを考えずにSNSから地道に宣伝していくのもアクセスアップの方法としては有効ですね。
被リンクというのは他のサイトから自分のサイトへ貼られる発リンクの事で、この被リンクの多いサイトほど
検索エンジンは価値があると判断します。
被リンクにも種類はいくつかあってそれぞれ効果は異なるようです。中でもよく聞くのが相互リンクです。
相互リンクは被リンクの中でも対策しやすく有料で購入できたりもします。しかし相互リンクの数が多いだけのサイトはちょっと前のグーグルのペンギンアップデートで順位を下げました。
検索順位を上げるために被リンクは必要不可欠ですが、やりすぎてしまうとSEO対策どころか逆効果になりかねません。
これから被リンクを考える時に必要なのは被リンクの量ではなくサイトどうしの関連性、質の高さです。ただ闇雲にリンクだけを集めるのは逆効果です。
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