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女房の妬くほど亭主もてもせず

Дата регистрации: 13 октября 2013 года

女房はとかくやきもちを焼くが、亭主は女房が考えるほどもてることはないということ。

実は、われ/\自身が、自分というものをまだよく知つていない。誤解はそこからも来るのでしようが、私は、あなたのような方の疑問をいくらか解くことによつて、自分自身をもつとよく知ることができるのではないか、という期待が一方にあるくらいです。  私は最近、連合軍司令部当局から日本の労働組合に対して発せられた警告ほど、われ/\にぴんと来た警告はなかつたように思います。覚えておいでになるかどうか、つまり、日本の労働組合の動きそのものゝなかに、その精神とはおよそ遠い「封建性」が巣喰つているという事実の指摘です。これが資本家側に武器として利用されなければいゝがとは思いますが、たしかに、家族手当とか、税金負担とかの要求は、労働運動の目標としては変なもので、これは、最も進歩的であるべきはずの頭脳から迷い出た封建思想の幽霊です。ところが、これは単に労働運動に限らないということを、われ/\は深く反省させられるのです。 女房の妬くほど亭主もてもせず

なんの力もない私ではありますが、あの時のあなたのお言葉に従えば、お子さんたちを「よい日本人」に育てあげたいというあなたの念願に対して、若しもなにかのご参考になればと思い、現在、あなたを取巻く日本の社会の様々な風潮、日本人のあらゆる表情について、あなたに疑問を起させそうな点を、その時どきに取あげて、私流の解釈を加えてみようと思うのです。あなたが日本語の新聞をかなり正確に読まれるのには私も感心しているのですが、それ以上に、あなたは実に鋭い読み方をなさつているのに気がついて驚きました。それもそのはずでしよう、十年前日本の土を踏まれた、その最初の日から、あなたは見るもの聞くものについて、夫君に手きびしい質問をされたという話を伺つています。  私はご承知の通り、どこからどこまで日本人ですが、日本の自慢というものはあまりしない方です。その代り、異国の人々に日本を正しく理解してもらいたいという気持、もし美点があるとすればその美点と同様に、その欠点をも、表面的な観察ですぐに結論を下されては閉口だ、という気持でいつぱいです。 女房の妬くほど亭主もてもせず

これから毎月一回あなたに手紙を書こうと思いたちました。今度の戦争で愛する夫君を失われ、また小さい二人のお子さんたちの将来について思いなやんでいられるあなたから、いろ/\なご相談を受けた時、私がまず感じたことは、国籍こそ日本にあつても、やはりヨーロッパ人の血を享けた女性としてのあなたが、果して、これからさき日本に止つて、われ/\と運命を共にすることがおできになるか、ということでした。  しかし、一方、かね/″\、あなたが、夫君の生国であるという理由はもちろんあるでしようが日本という国に興味をもち、日本人の特質をよく理解し、この国と人とを心から愛しようと努めていられた事実をよく知つていますから、なによりも誠実な生き方をしようとしてもがいていられるあなたのすがたは、私の心を一層強くうちました。 女房の妬くほど亭主もてもせず

女  ねえ、小父さん、どうして、この峠を愛国峠つて云ふの? 定臣  へへえ、それはでございます。第一に、この峠に立つて、あなたがたは先づなにをお感じになります。申すまでもなく、日本人の矜り! この大自然の美は、われわれの魂です。祖先伝来の大和心を今こそしみじみとお感じになるでせう。四海波穏かにして、男子は勇猛果敢、女子は貞淑優雅、宜なる哉、山河清くして偉人生るの譬へ、あそこに見ゆるは富士の霊峰、ここ、咲き匂ふは国花山桜、嘗て清少納言も歌つてをります――春浅き峠に、なんだつけ、……さやう、峠に咲ける山桜……富士はおまけとわれは見にけり……。おまけとはよく云つたもので、誠に、十二分の眺めで、来た甲斐があるどころではない。お土産にしてもなほ余りがあるといふ意味を、いみじくも詠まれたものと思ひます。 男  もういいよ、小父さん。 定臣  へえ、別にお金はいただきません。これも御国のためでございます。 女房の妬くほど亭主もてもせず

男  そんなもん、いぢつたつてしようがない。靴擦れだよ、ただの。 女  ただでない靴擦れだつたら、どうする? 男  うるさいなあ。さあ、おぶされ。 女  靴、あんた持つて! 男  手は痛くないんだらう。 女  あたしに持たせるの? ぢや、踵が口ん中へはいつたつてしらないわよ。 男  ぢや、貸せ! なんだ、軽いもんだ、こんなもん。 女  初めてみたいに云はないのよ。 男  埴生ノヤドーモ、ワーガーアヤアド。 (間) 定臣  驚いたお客だ。いらつしやい。どうかお休み下さい。愛国茶屋の渋茶を一杯、召上つて下さい。 孝子  いらつしやいませ。どうぞお敷き下さい。 女  まあ、好い景色だこと。 男  僕一人に見せるのは、勿体ないつてことがわかつたらう。 女  あたし一人だつたら、帰つてあなたになんてお話ししようかしら……。 男  形容なんかしなくたつて、君の眼つきで想像がつくよ。 定臣  おい、お孝、奥へ行つてろ。 女房の妬くほど亭主もてもせず

女  それごらんなさい。女中の話ぢやわからないなんて、自分で勝手にきめてるからをかしいわ。すばらしいお宮があつて、そのお宮に世界中の豚を集めてあるんだなんて出鱈目なのね。 兵頭  だれがそんなことを云ひましたか? 女  いいえ、この人がですよ。なんでも、空想して、それを実際みたいに云ふ癖があるんですよ。瞞されて損しちやつた。 兵頭  はははは。瞞されでもしなけれや、この坂道をお歩けにはなれなかつたでせう。帰りはお楽です。では、ごゆつくり……。(去る) 男  それぢや、ここから引つ返すかい。あそこまで行つてみる元気ない? 女  元気はあつても興味がないのよ。一人で行つて来るといいわ。 男  ぢや、君はそこで、地べたへ絵でも描いてたまへ。アナ嬉シ、悦バシ、戦ヒ勝チヌ……。 女  (しくしく泣きだす) 男  ヒステリイはよしてくれよ。 女  ヒステリイぢやないわよ。足の趾が痛いのよ。 男  どうすればいいんだい。 女  靴脱がして……。 男  よしきた。かうかい。それから……? 女  あら、血が出てるわ。エーン、エーン……(泣く真似) 男  早くしろよ。 女  いぢつて見て! 女房の妬くほど亭主もてもせず

峠までもう一息といふところで、旅の男女は、立止る。 男  おい、しつかりしろよ。今朝の勢はどうしたんだ。そこまで行けば、あとは下りだよ。 女  そんなことわかつてるわ。いつまでも登りつきりなんて山、話に聞かないわ。 男  口だけは達者でやがら……。おい、しやがんぢまふなよ。人が来たぢやないか。(話しかけるやうに)ちよつと伺ひます。そこが愛国峠つていふんですか。 兵頭  さうです。あの国旗の立つてるところがさうです。失礼ですが、どちらまでお出でですか? 男  いや、その峠へあがつたら、すぐ引つ返すんです。今朝、蓬莱町の宿を出て来たんですけれど、歩いてもぢきだつて云ふもんだから……。 兵頭  ああ、それぢや……。僕はまた、この峠をお越えになるんだと、大変だと思つて……。向うは山道を十里歩かないと、八島町へ着きませんから……。 女  その愛国峠つていふの、何があるんですの? 兵頭  なんにもありません。茶屋が一軒あるきりです。 女  景色がいいつていふだけなんでせう。 兵頭  まあ、さうです。 女房の妬くほど亭主もてもせず

少女たちのざわめきに交つて、エンヂンの動き出す音。 女車掌  (高らかに)オォライ。 車が走り出すと同時に、少女たちの合唱がはじまる。それが次第に遠ざかると、 定臣  やれやれ、賑やかなこつた。都のお嬢さんたちは元気がいい。――春浅き峠に咲ける――か。 兵頭  僕もそれをいつでも思ふんだが、なぜ田舎の少女たちは、ああ暗い顔をしてるのかねえ。お孝ちやんなんか例外の方だ。 定臣  先生は、まだ、オォライぢやないんですか? 兵頭  オォライたあ、なんです。 定臣  ひやあ、英語ださうですよ。おや、あれやなんでせう。夫婦連れですぜ。乗合ができてから、ああいふのは珍しいな。おや、おまけに、女の方は洋服だ。大分、へこたれたとみえる、可哀想に……。この峠を、あの恰好で越えるのは無理だ。尤も近頃は、山登りつて奴もあるさうだが、あれや、まるで、散歩かなんかしてるやうだ。おい、お孝、座蒲団を出しときな。 兵頭  どれ、僕は、そろそろ、腰をあげよう。 女房の妬くほど亭主もてもせず

学習塾が素晴らしい点は、基礎を学び直せるという部分で、お子さんの基礎学力の改善に大きな実力を表します。特に、算数は基礎を学んでいないとどんどん追いつけなくなっていきますが、学習塾での学び方を導入していけば、理解をした上で、着実に力となって身についていくのです。また、個別の指導方針もあり、マンツーマンでのしっかりとした勉強を行うことが出来ます。家庭教師よりも学習塾で学びたいという人には実に魅力的なプランで、勉学の基礎である反復練習と応用問題の効果が期待できるのです。勉強は小さい頃からの習慣がとても大事です。疑問に思った時に、きちんと解決できる力を身につけるには、努力の持続ときちんとした講師が必要です。学習塾なら、実践で学んできた学力を身につけることが可能で、社会に出ても大成できるしっかりとした知恵を学べます。大学や高校など、これからの受験戦争を勝ち抜くには徹底した学習塾での指導が大事になってきます。 hakken.(ハッケン) 岐阜・三重県下に10教室個別指導の学習塾

僕は第一に、日本の新劇の現状、歌舞伎新派の運命を考へて、今日まで一人も現はれてはゐないが、いつかは現はれるであらう俳優――西洋にはその例に乏しくないところの――と、その達し得る表現能力を相当に信じてゐる。この表現能力に対して、われわれ作家は勿論、一般演劇に関心をもつもの、又は、もたうとしないもの、何れも、一応吟味を試みるべき時代が来てゐるのである。  如何なる文化部門に於てもさうだが、今日の日本に生れ、何か一つの仕事をしようと思へば、先づ、このへんのところから始めなければならないのではないか? なかには、もつと先を行く人物もあつていい。若し足許に危険を感じなければ! しかし、誰かが、「もつと以前」に止まり、先へ行つた連中も何れはそこへ一度戻つて来なければならないのである。  僕は今、日本に於ける演劇の文化的水準といふことを問題にしたい。敏感な読者は、僕を含めて四人の走者が、演劇といふ一般的な観念を提げて、如何にてんでんばらばらな走り方をし、演劇そのものが危く見失はれようとした現象を以て、直ちに、日本現代演劇の混乱を感じられたであらう。演劇は貧困にも悩んでゐる。しかし、それ以上に、幼稚さに参つてゐるのである。われわれの混乱は、そこから来たのである。 女房の妬くほど亭主もてもせず

しかし、芝居といふものは、批評家や劇作家の考へてゐるやうな考へ方で、やれるものではない。これは事実だ。つまり、芝居の道で苦労のできる人は、余程、芸術家のうちでも変つた特質をもつてゐる人である。ほかから考へると、どうにもしやうのないことを、ある勘で、なんとかなると信じ得る人である。この勘と、この意欲の強靭さが、劇場人の生命であり、演劇の混沌たる世界に、一条の光明を投げ入れる力である。  小林氏の如く「芝居小屋全体の礼節」に愛想をつかすことはまだ早いし、真船氏の如く、作家として舞台に冷淡な顔を向けることも、日本に於ては、再考の余地があると思ふ。  僕たちは「現在の劇場のために」戯曲を書いてゐないことは事実だが、これは、まだまだ「近代劇の行き詰りに悩んでゐる」からではないし、「舞台と戯曲とは別物」だからでもないのである。 女房の妬くほど亭主もてもせず

反対イデオロギイの化身が登場すると、見物はこれを罵倒するなどといふことが、芝居とどんな関係があるでせう? さういふ悲しい役をふられた役者は、僕は、若し彼が芸術家なら、気の毒だと思ふ。これは政治運動の話題にはなるが、演劇運動について語る場合は引合に出して欲しくない話である。現在の新劇の一部でさういふ時代の夢をなほ見つづけてゐることは、作家にとつて、殊に俳優にとつて、非常な損失である。千田さん、これはあなた方の新しい演劇論に対する批評ではありません。日本の現状に即して、あなた方の方法と努力が徒らに多くの犠牲を生み、それが日本の健全な演劇文化の発達を阻害してゐる事実を指摘してゐるのです。 女房の妬くほど亭主もてもせず

小林氏が、日本の近代劇上演からは、「一種どぎつい読書法といふものしか学ばなかつた」と云つてゐるのは、新劇当事者――過去現在を通じて――に与へられた頂門の一針である。  築地小劇場の観客が「劇場に本来あるべき健康な空気」とは無縁であつたことを指摘し、これに対し千田氏は、左翼劇場時代の舞台と観客席の交感を例にあげて反駁してゐる。僕は、このあたり、局外批評の難有味を痛感する次第だが、これは、千田さん、なんといつても、考へなければならない問題ですね。僕は、この問題について、いつか、左翼系の某氏に話しました。――左翼劇見物は芝居を観てゐるのでなく、扮装せる政壇演説を聴きに来るのである。芸術的な感動を味ふのではなく、デマゴオグの熱弁に魅せられてゐたのである。しかも、彼等の多くは、甚だ頼もしくない弥次馬ではなかつたか、と。 女房の妬くほど亭主もてもせず

戯曲もそれに似た運命を辿ることをやがて警戒しなければならなくなるであらう。戯曲は文学ならざるべからずといふ主張は、小説は純粋な散文でなければならぬといふ主張と並んで、近代に於ける眼ざましい二つの運動である。しかし、戯曲は、小説ではないし、まして「散文」ではないのである。小説が、所謂、プロザイックであることに好ましからぬ意味があるとすれば、戯曲も、悪い意味のリテラチュウルであつては困るぐらゐのことは誰でも気がついてゐる筈であるが、今の時代は、往々、そんなことを云ふのは野暮で、危険なのだから実に厄介千万である。真船氏の「戯曲と舞台は別の世界だ」と主張する意図はよくわかるし、それを真船氏ほどの人が云ふのだから面白いのであつて、僕の観るところでは、同氏の作品はあらゆる意味で、甚だ舞台的なのである(これが今日の氏の強味だ)。千田氏は、これと観点は違ふが、劇作家の演劇運動への参加を要求し、劇作家が文学へ逃げ込んでゐるから、劇場のレパアトリイが豊富にならぬとこぼされる。文学へ逃げ込む一人と自分をみてはゐないが、僕は千田氏に敢て云ふなら、あなた方は、戯曲に「劇場性」を求めながら、実は甚だしい「非戯曲的リテラチュウル」を舞台に上せ、却つて、文学そのものの中にわれわれが求めてゐる「戯曲性」に案外眼をふさいでゐられるのはどうしたわけか。僕の書くものは別の理由で上演不向きなことを認めるし、まあそれは問題でない。一般について云ふのである。ここで、勢ひ、戯曲の内容の云々に話題が転じさうであるから、それは、ここでは論じないことにします。 女房の妬くほど亭主もてもせず

「演劇とはなにをおいても先づ文学でなければならぬといふことが、近代劇の最大性格だと考へてよい」といふ小林氏の言葉は、真船氏の「今日、われわれの云ふ戯曲といふものは、あくまでも第一義の文学であつて、いかなる意味に於ても決して劇場台本ではない」といふ言葉と共通した意味――寧ろ信念を含んでゐる。  これも実は、ひと通り議論ずみの問題で、劇場人に云はせれば、はいさうです、では済まされぬだらう。千田氏が、一方、戯曲の指導性(?)を認めながら、なほかつ、戯曲の「文学性」ならぬ「舞台性」乃至「劇場性」が、社会的条件によつては、戯曲家の創造精神に一つの基準を与へるであらうことを強調してゐるのをみればわかる。  が、僕は、かういふ問題を、一概に片づけてしまふのはよくないし、また不可能なことだと思ふ。これは、嘗て文壇で小説は散文である、云々が主張され、文学の本道が散文精神の強調に塗りつぶされたあの傾向とよく似てゐると思ふ。勿論、近代文学の歴史的考慮と、現代人の生活感情乃至生活様式を通して、小説のジャンルとしての進化が、散文の純粋化、言ひ換へれば、抒情と雄弁とを排除する結果を生んだのは当然であるが、その結果は今日の純文学行き詰りの声を聞く一つの原因になつたとも解せられる。僕は、純文学が行き詰つたなどとは、考へてゐないものの一人であることをここに特記する。ただ、誰も彼もが、純粋な散文を目指して小説のスタイルを固定させたことは、日本の現代文学をやや単調にしてゐると思ふだけである 女房の妬くほど亭主もてもせず

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