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女房の妬くほど亭主もてもせず

Дата регистрации: 13 октября 2013 года

女房はとかくやきもちを焼くが、亭主は女房が考えるほどもてることはないということ。

「四月の後、嘗つて老人の坐つた座蒲団には公然と子供等の父なる若者が坐るやうになつた。其背後の半間の間には羽織袴でキチンと坐つた老人の四つ切りの写真が額に入つて立つて居る……」  この題材は、もし自然派系の作家が扱ったならば、どんなに皮肉に描き出しただろう。老人がどんなにいたましく嘲笑されただろう。が、志賀氏はかかる皮肉な題材を描きながら、老人に対しても妾に対しても充分な愛撫を与えている。「老人」を読んだ人は老人にも同情し、妾をも尤もだと思い、その中の何人にも人間らしい親しみを感ぜずにはいられないだろう。情夫の子を、老人の子として、老人の遺産で養って行こうとする妾にも、我等は何らの不快も感じない。もし、自然派系の作家が扱ったならば、この題材はむしろ読者に必ずある不快な人生の一角を示したであろう。が、志賀氏の「老人」の世界は、何処までも人間的な世界である。そして、我々は老後の淋しさにも、妾の心持にも限りなく引付けられるのである。氏の作品の根柢に横たわるヒューマニスチックな温味は「和解」にも「清兵衛と瓢箪」にも「出来事」にも「大津順吉」などにもある。他の心理を描いた作品にも充分見出されると思う。 女房の妬くほど亭主もてもせず

氏の作品がリアリスチックでありながら、しかも普通のリアリズムと違っている点を説くのには氏の短篇なる「老人」を考えて見るといい。  これは、もう七十に近い老人が、老後の淋しさを紛らすために芸者を受け出して妾に置く。芸者は、若い者に受け出されるよりも老先の短い七十の老人に受け出される方が、自由になる期が早いといったような心持で、老人の妾になる。最初の三年の契約が切れても老人はその妾と離れられない。女も情夫があったが、この老人と約束通りに別れる事が残酷のように思われて、一年延ばす事を承諾する。一年が経つ。そのうちに女は情夫の子を産む。今度は女の方から一年の延期を言い出す。そして又一年経つ裡に女は情夫の第二の子を産む。そして今度は老人の方から延期を申出す。そしてその一年の終に老人は病死して妾に少からぬ遺産を残す。そして作品は次のような文句で終る。 女房の妬くほど亭主もてもせず

普通のリアリストと烈しく相違している点は、氏が人生に対する態度であり、氏が人間に対する態度である。普通のリアリストの人生に対する態度人間に対する態度が冷静で過酷で、無関心であるに反して、ヒューマニスチックな温味を持っている。氏の作品が常に自分に、清純な快さを与えるのは、実にこの温味のためである。氏の表現も観照も飽くまでリアリスチックである。がその二つを総括している氏の奥底の心は、飽くまでヒューマニスチックである。氏の作品の表面には人道主義などというものは、おくびにも出ていない。が、本当に氏の作品を味読する者にとって、氏の作品の奥深く鼓動する人道主義的な温味を感ぜずにはいられないだろう。世の中には、作品の表面には、人道主義の合言葉や旗印が山の如く積まれてありながら、少しく奥を探ると、醜いエゴイズムが蠢動しているような作品も決して少くはない。が、志賀氏は、その創作の上において決して愛を説かないが氏は愛を説かずしてただ黙々と愛を描いている。自分は志賀氏の作品を読んだ時程、人間の愛すべきことを知ったことはない。 女房の妬くほど亭主もてもせず

「『えゝ』と自分は首肯いた。それを見ると母は急に起上つて来て自分の手を堅く握りしめて、泣きながら『ありがたう。順吉、ありがたう』と云つて自分の胸の所で幾度か頭を下げた。自分は仕方がなかつたから其頭の上でお辞儀をすると丁度頭を上げた母の束髪へ口をぶつけた。」と描いてある所など、氏が如何なる場合にも、そのリアリストとしての観照を曇らせない事を充分に語っている。  志賀氏の観照は飽くまでもリアリスチックであり、その手法も根柢においてリアリズムである事は、前述した通りだが、それならば全然リアリズムの作家であろうか。自分は決してそうは思わない。 女房の妬くほど亭主もてもせず

殺されたいもりと、いもりを殺した心持とが、完璧と言っても偽ではない程本当に表現されている。客観と主観とが、少しも混乱しないで、両方とも、何処までも本当に表現されている。何の文句一つも抜いてはならない。また如何なる文句を加えても蛇足になるような完全した表現である。この表現を見ても分る事だが、志賀氏の物の観照は、如何にも正確で、澄み切っていると思う。この澄み切った観照は志賀氏が真のリアリストである一つの有力な証拠だが、氏はこの観照を如何なる悲しみの時にも、欣びの時にも、必死の場合にも、眩まされはしないようである。これは誰かが言ったように記憶するが、「和解」の中、和解の場面で、 女房の妬くほど亭主もてもせず

「自分は別にいもりを狙はなかつた。ねらつても迚も当らない程、ねらつて投げる事の下手な自分はそれが当る事などは全く考へなかつた。石はコツといつてから流れに落ちた。石の音と共に同時にいもりは四寸程横へ飛んだやうに見えた。いもりは尻尾を反らして高く上げた。自分はどうしたのかしら、と思つて居た。最初石が当つたとは思はなかつた。いもりの反らした尾が自然に静かに下りて来た。するとひぢを張つたやうに、傾斜にたへて前へついてゐた両の前足の指が内へまくれ込むと、いもりは力なく前へのめつてしまつた。尾は全く石へついた。もう動かない。いもりは死んで了つた。自分は飛んだ事をしたと思つた。虫を殺す事をよくする自分であるが、その気が全くないのに殺して了つたのは自分に妙ないやな気をさした。」 女房の妬くほど亭主もてもせず

「深い秋の静かな晩だつた。沼の上を雁が啼いて通る。細君は食卓の上の洋燈を端の方に引き寄せて其の下で針仕事をして居る。良人は其傍に長々と仰向けに寝ころんでぼんやりと天井を眺めて居た。二人は長い間黙つて居た。」  何という冴えた表現であろうと、自分はこの数行を読む度に感嘆する。普通の作家なれば、数十行乃至数百行を費しても、こうした情景は浮ばないだろう。いわゆるリアリズムの作家にこうした洗練された立派な表現があるだろうか。志賀氏のリアリズムが、氏独特のものであるという事は、こうした点からでも言い得ると思う。氏は、この数行において、多くを描いていない。しかも、この数行において、淋しい湖畔における夫婦者の静寂な生活が、如何にも溌剌として描き出されている。何という簡潔な力強い表現であろう。こうした立派な表現は、氏の作品を探せば何処にでもあるが、もう一つ「城の崎にて」から例を引いて見よう。 女房の妬くほど亭主もてもせず

志賀氏は、その小説の手法においても、その人生の見方においても、根柢においてリアリストである。この事は、充分確信を以て言ってもいいと思う。が、氏のリアリズムは、文壇における自然派系統の老少幾多の作家の持っているリアリズムとは、似ても似つかぬように自分に思われる。先ず手法の点から言って見よう。リアリズムを標榜する多くの作家が、描かんとする人生の凡ての些末事を、ゴテゴテと何らの撰択もなく並べ立てるに比して、志賀氏の表現には厳粛な手堅い撰択が行われている。志賀氏は惜しみ過ぎると思われるくらい、その筆を惜しむ。一措も忽にしないような表現の厳粛さがある。氏は描かんとする事象の中、真に描かねばならぬ事しか描いていない。或事象の急所をグイグイと書くだけである。本当に描かねばならぬ事しか描いていないという事は、氏の表現を飽くまでも、力強いものにしている。氏の表現に現われている力強さは簡素の力である。厳粛な表現の撰択からくる正確の力強さである。こうした氏の表現は、氏の作品の随所に見られるが、試みに「好人物の夫婦」の書出しの数行を抜いて見よう。 女房の妬くほど亭主もてもせず

旅行土産の定番といえば、キーホルダーです。他に思いあたるものがなかったら、キーホルダーにしています。雑貨品としてユニークで、後からみても懐かしい気持ちになります。あくまでも記念として置いておくものであるから、実際にキーにぶらさげて使ったことはありません。普段使うキーホルダーとは別枠のキーホルダーとしておすすめです。 何年も前に行った沖縄や長崎の土産にも、キーホルダーがあります。バケツ一杯にキーホルダーが詰まっているほど、知らぬ間に積みあがっています。 県の形をしたキーホルダー、定番中の定番です。必ずといえるほど、キーホルダーの土産の中に混ざっています。 キーホルダー三昧の土産になっていますが、長持ちさせることができるのが特徴です。 キーホルダー 制作

自分は現代の作家の中で、一番志賀氏を尊敬している。尊敬しているばかりでなく、氏の作品が、一番好きである。自分の信念の通りに言えば、志賀氏は現在の日本の文壇では、最も傑出した作家の一人だと思っている。  自分は、「白樺」の創刊時代から志賀氏の作品を愛していた。それから六、七年になる。その間に自分はかつて愛読していた他の多くの作家(日本と外国とを合せて)に、幻滅を感じたり愛想を尽かしたりした。が、志賀氏の作品に対する自分の心持だけは変っていない。これからも変るまいと思う。  自分が志賀氏に対する尊敬や、好愛は殆ど絶対的なもので従って自分はこの文章においても志賀氏の作品を批評する積りはないのである。志賀氏の作品に就いて自分の感じている事を、述べて見たいだけである。 女房の妬くほど亭主もてもせず

四期分は、税務署の方から、前以つて妥協的に勧誘に来た。だが私は応じなかつた。すると、それに憤慨した故もあるだらうし、いつもと同じ物品では、此方が懲りないと思つたのだらう。今度は、指輪と時計とを拒絶して、玄関の次の間にあつた箪笥と、シンガア・ミシンの機械とを差押へた。私は、その時留守であつた。帰つて見ると、妻は「私一人だと思つて、馬鹿にする。ミシンをお買ひになりましたか、御勉強ですな。それを一つ差押へて行きませうと云ふのですよ」と、憤慨してゐた。  所が、このシンガア・ミシンは先日シンガア・ミシン会社から、月賦で買つたもので、契約面では所有権はまだ会社にあるのである。妻は、それを知らなかつたのである。私は、今度は入札に行くのも面倒くさなつたので、競売の日にも行かないつもりである。  が、もう一月以上にもなるが、税務署からは何の通知もない。あのミシンを、古道具屋でもが競売で買つたとすれば、一体法律上、どう云ふことになるのか、その裡誰かに訊いて見たいと思つてゐる。 女房の妬くほど亭主もてもせず

約束の通、競売の日に通知が来たので、私は女中に金を持たして、入札にやつた。すると女中が帰つて来ての話では、女中がはいつて行くと、其処にゐた税務署の役員達は「やあ! 来た。来た」と笑ひながら、税金だけを取ると、受取の紙をよこしたと云ふのである。それでは、結局私が納税した形式になつたので、これはしくじつたと思つた。  第二期は、到頭差押へに来なかつた。おや、納めなければ納めなくてもいゝのかと思つてゐると、三期分と一緒に差押へに来たのである。向うで、手数を省いたわけである。今度も、同じ時計と指輪とを渡した。その両方とも合せて、二期分の税金額には不足する程のものであつた。役員は、納得して差押へて行つた。妻も馴れたので、今度はこはがらなつた。  競売の通知が来た。今度こそ、ゼヒ落札してやらうと思つた。が、自分で出かけて行くのも馬鹿々々しいので、やつぱり女中をやつた。すると、女中はまた前と同じやうに納税の受取を持つて帰つた。私が咎めると、「でも何うしていゝか分からないのですもの」と云つた。 女房の妬くほど亭主もてもせず

財産家のやうに、打出の小槌を持つてゐるのではない。われ/\の原稿と云ふものは、繰り返しが出来ないのだ。使つたものは無くなつてしまふのだ。学者が一定の講義を毎年やつたり、役者が一つの芸を二三年毎に、繰り返すと云つたやうなわけには行かないのだ。云はゞ、精神的な売り喰ひしてゐるやうなものだ。そんな意味で、われ/\の収入に現在の所得税を課するのは、可なりひどいと思つた。  だから、私はその法の不備に対する抗議の手段として、決して自発的には、納税しない決心をした。私は、税務署の役員が来たとき、所得は決定額より以上あるが、所得税法が不服だから収めない。どうぞ、勝手に差押へをしてくれと云つた。私は、差押へだとすると屹度執達吏が来るのかと思つてゐたが、案に相違して、洋服を着たその若い役員は、「ぢや差押へして行きます」と、云つた。そして、差押へ権を証明する名札のやうなものを見せた。私は、さすがに、一寸緊張した。妻は「何だかこはいわねえ」と、云つて、オド/\してゐたが、この人は、上つて来て、差押へるのでなくて、「何か税金位の金目の品ものはありませんか」と云つた。私は、妻の時計と指輪とを出させた。役員は、差押証書をかいただけで、品物は封印もしないで、私達に預けたまゝで、帰つて行つた。帰るとき、「私は貴君の作品を愛読してゐるのですよ」と、云つた。 女房の妬くほど亭主もてもせず

その上、我々の収入の性質が実業家の収入などとは、全然違つてゐる。あの仕事を経営すれば、毎年定まつてはいつて来ると云ふのではない。今年は一万円収入があつても、来年は二三千円しかないかも知れない。その上、われ/\の原稿料など云ふものは、頭の中に生えた材木を伐つて売つてゐるやうなものだ。一度伐つたら、後は容易に生えないのだ。いな、一生、生えないかも知れないのだ。ドオデの短篇小説に、「金脳の人の伝説」と云ふのがある。頭の中に、金塊が一杯つまつてゐる人のことを書いたのだ。彼は自分のためや愛人のために、少しづつ頭から金塊を出して使つてゐたが、あんまり愛人の追求が烈しいので、金塊を出し尽くし、頭が空虚になると同時に斃れると云ふ話だが、われ/\作家は、みんな「金脳の人」なのだ。頭の中の量のきまつた金塊を、少しづつ小出しにしては生活してゐるのだ。 女房の妬くほど亭主もてもせず

私は、所得税に対して不服であつた。附加税をよせると、年に四百円近くになる。私は官吏や実業家のやうに、国家の直接な恩恵を受けてもゐないのに、四百円は、どんな意味からでも、取られすぎると思つた。文士など云ふ職業は、国家が少しも歓待もしなければ、保護奨励もしない。奨励しないどころか、発売禁止だとか上演禁止だとかで脅してゐながら、その上収入に対して、普通の税率を課するのは、怪しからないと思った。  私の昨年の所得決定額は、日本一、二の富豪安田某の四十分の一であり、渋沢栄一氏の四分の一であつたので憤慨した。実業家など云ふものは、巨万の恒産があつての上の利子的の収入である。恒産があつて、年に一定の収入があれば、私も喜んで納税したい。が、恒産のない、その日ぐらしではなくても、その月ぐらし程度の我々に、実業家の収入に課する税率を課せられるのは、やり切れないと思ふ。安田何某の四十分の一はおろか、四千分の一の財産も持たない我々の収入だけが四十分の一に評価され、所得税法を適用せられるのは可なり不当だと思ふ。 女房の妬くほど亭主もてもせず

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