19 декабря 2013 года в19.12.2013 09:12 1 0 10 1

氏の作品が

氏の作品が、普通のリアリズムの作品と違って一種の温かみを有している事は、前に述べたが、氏の作品の背景はただそれだけであろうか。自分は、それだけとは思わない。氏の作品の頼もしさ力強さは、氏の作品を裏付けている志賀直哉氏の道徳ではないかと思う。  自分は耽美主義の作品、或は心理小説、単なるリアリズムの作品にある種の物足らなさを感ずるのは、その作品に道徳性の欠乏しているためではないかと思う。ある通俗小説を書く人が「通俗小説には道徳が無ければならない」と言ったという事を耳にしたが、凡ての小説はある種の道徳を要求しているのではないか。志賀氏の作品の力強さは志賀氏の作品の底に流れている氏の道徳のためではないかと思う。  氏の懐いている道徳は「人間性の道徳」だと自分は解している。が、その内で氏の作品の中で、最も目に着くものは正義に対する愛(Love of justice)ではないかと思う。義しさである。人間的な「義しさ」である。「大津順吉」や「和解」の場合にはそれが最も著しいと思う。「和解」は或る意味において「義しさ」を愛する事と、子としての愛との恐るべき争闘とその融合である。が、「和解」を除いた他の作品の場合にも、人間的な義しさを愛する心が、随所に現われているように思われる。 女房の妬くほど亭主もてもせず

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NYOUBOU — 女房の妬くほど亭主もてもせず

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